「準備書面(本案前の答弁に対する反論):政務調査費違法支出損害賠償命令請求事件」
平成19年(行ウ)第20号 政務調査費違法支出損害賠償請求命令請求事件
原 告 阪 口 保 外54名
被 告 奈良県知事 荒 井 正 吾
準備書面
被告らの本案前の答弁に対し、次のとおり反論する。
1 被告の主張
被告は,最高裁平成2年6月5日第三小法廷判決・民集44巻4号719頁を引用した上で,本件監査請求は請求対象の特定を欠く不適法なものであり,したがって,「本件訴えは適法な住民監査請求を経ていない不適法なものであるから,直ちに却下すべきである。」と主張する(被告の平成20年1月23日付答弁書4頁)。
上記最高裁判決以後,下級審裁判所や地方公共団体の監査実務において,上記最高裁判決の判旨を杓子定規に解釈し,監査請求の対象につき必要以上に厳格な特定を求める悪しき傾向が見られた。
そのような中,平成16年に監査請求対象の特定についての最高裁判決が2つ下され,この問題に対する最高裁判所の考えが明らかとなった。
2 平成16年の2件の最高裁判決
(1) 平成16年11月25日第一小法廷判決(民集58巻8号2297頁)
これは,第一審(佐賀地裁)及び原審(福岡高裁)が監査対象の特定を欠くとして,訴えを却下すべきものとしていたところ,原審(福岡高裁)判決を破棄し,原審へ差し戻したものである。
同判決は、監査請求対象の特定の有無の基準について,以下のように判示している。
「住民監査においては,対象とする財務会計上の行為又は怠る事実(以下,「当該行為等」という。)を,他の事項から区別し特定して認識することができるように,個別的,具体的に摘示することを要するが,監査請求書及びこれに添付された事実を証する書面の各記載,監査請求人が提出したその他の資料等を総合して,住民監査請求の対象が特定の当該行為等であることを監査委員が認識することができる程度に摘示されているのであれば,これをもって足りるのであり,上記の程度を越えてまで当該行為等を個別的,具体的に摘示することを要するものではないというべきである。そして,この理は,当該行為等が複数である場合であっても異なるものではない。最高裁平成元年(行ツ)第68号同平成2年6月5日第三小法廷判決・民集44巻4号719頁は,以上と異なる趣旨をいうものではない。」
そして,具体的事実への当てはめについて,以下のように判示する。
「前記事実関係等によれば,本件監査請求は,平成5年度,同6年度,同8年度及び同9年度の県庁全体の複写機使用料にかかる支出のうち,県の調査の結果不適切とされたものの合計額4億2021万2000円が違法な公金支出であるとして,これによる県の損害を補てんするために必要な措置を講ずることを求めるものであり,県の上記調査においては,対象期間中の複写機使用料に係る個々の支出ごとに不適切な支出であるかどうか検討されたというのであるから,本件監査請求において,対象とする各支出について,支出した部課,支出した年月日,金額,支出先等の詳細が個別的,具体的に摘示されていなくとも,県監査委員において,本件監査請求の対象を特定して認識することができる程度に摘示されていたものということができる。
そうすると,本件監査請求は,請求の対象の特定に欠けるところはないというべきである。」
(2) 平成16年12月7日第三小法廷判決(集民215号871頁)
これは,第一審(福井地裁)及び原審(名古屋高裁金沢支部)が監査対象の特定を欠くとして,訴えを却下すべきものとしていたところ,原審判決を一部破棄自判し,破棄部分を第一審(福井地裁)へ差し戻したものである。
同判決は、監査請求対象の特定の有無の基準について,前掲最高裁判決と同様に判示した後、具体的当てはめについて、次のとおり判示している。
「前記事実関係等によれば,本件監査請求は,旅費調査委員会等の各調査においてそれぞれ事務処理上不適切な支出とされたものである本件各旅費の支出が違法な公金の支出であるとして,これによる県の損害を補てんするために必要な措置を講ずることを求めるものであり,旅費等調査委員会等の各調査においては,それぞれ対象とする旅費の支出について1件ごとに不適切なものであるかどうかを調査したというものであるから,本件監査請求において,対象とする各支出,すなわち,支出負担行為,支出命令及び法232条の4第1項にいう協議の支出について,支出に係る部課,支出年月日,支出金額等の詳細が個別的,具体的に摘示されていなくとも,県監査委員において,本件監査請求の対象を特定して認識することができる程度に摘示されていたものということができる。
そうすると,本件監査請求は,請求の対象の特定に欠けるところはないというべきである。」
3 その後の下級審判決-仙台地裁平成19年11月13日判決(裁判所HPに掲載)
(1) 同判決は,被告宮城県知事に対し,政務調査費の返還請求をするよう求め求めた住民代位請求訴訟の判決であり,本件訴訟と基本的に同一の事案である。
同事案では、監査請求対象の特定の有無が争点となったが、この点についての被告らの主張と原告らの反論は概要次のとおりである。
被告や補助参加人(同訴訟の相手方)らの主張は次のとおりである。
「本件は住民訴訟であるから事前に適法な監査請求を経ていなければならないところ、本件監査請求は、本件政務調査費の支出のうち本件調査研究費等の支出費目の支出が平成14年度分の4.2パーセント程度であるべきだとして、費目ごとに『4.2パーセントを超えているので支出の中に違法・不当な支出が含まれている』又は『4.2パーセントを超える部分は違法・不当な支出である』等として各補助参加人の本件政務調査費のうち本件調査費等の支出費目の支出全部の監査を求めるというもので、違法又は不当と主張する財務会計上の行為を他の事項から区別して特定認識できるように個別的・具体的に摘示されておらず、その抽象的、包括的又は網羅的であり、監査請求の対象の特定を欠き不適法である。」
これに対し原告らは次のとおり反論した。
「ア 地方公共団体の情報は十分に公開されていないため、住民にとって地方公共団体の活動、政策の詳細を知ることが非常に困難な状況にあり、このような状況の下で、個々の財務会計上の行為の特定を求めることは、住民に監査請求を断念させることになる。他方、監査委員は監査の過程において、与えられた権限を行使して資料の提出を受けることにより、監査の対象を容易に特定しうるのであるから、住民監査請求制度の機能を実効性のあるものとするためには、行為の時期、内容、態様、目的、金額、行為者らの事実のうちいくつかによって対象事項が他の事項から区別して特定認識しうる程度に摘示されていれば足り、必ずしも当該行為の一つ一つについて全てが摘示されなくてとも、監査請求の対象事項の特定としては十分である。
イ 本件監査請求は、被告が各補助参加人に対し、本件監査請求費から必要経費として支出した額を控除した残額の返還を求めないという不作為を違法として、被告に対し、各補助参加人に対する不当利得返還請求をすることをもとめるものであるから、本件監査請求の対象は、法242条1項所定の事項のうち「違法若しくは徴収若しくは財産の管理を怠る事実」である。そうだとすると、監査対象の特定としては、当該怠る事実が他の事実と区別して特定認識できれば足りる。
これを本件に照らしてみれば、まず、県における政務調査費は、その細目的な使途ごとに交付額を定めるようなことはせず、各会派に対し、不可分一体のものとして、原告が本件監査請求で特定した、各補助参加人の平成15年4月分の政務調査費(本件政務調査費)の支出のうち、調査研究費等の支出費目全部という程度のもので必要かつ十分であり、これ以上の特定は論理的に不可能である。
しかも、原告は、本件監査請求の時点において、上記怠る事実に係る違法自由を他の違法事由から区別して特定すべく、具体的に、平成15年4月は統一選挙が実施された月であり、現職で立候補した議員は少なくとも月の半分は選挙活動に専念していたはずで、調査・研究は選挙のなかったと子の24分の1であって然るべきであると述べた上で、選挙のなかった平成14年の支出状況と比較検討した資料を提出している。
ウ よって、原告が行った本件監査請求の対象の特定がかけるところはない。」
(2) 判決内容
こうした双方の主張を受け、同判決は以下のように判示した。
「法242条1項は,普通地方公共団体の住民は,当該普通地方公共団体の執行機関又は職員について,財務会計上の違法若しくは不当な行為又は怠る事実があると認めるときは,これらを証する書面を添え,監査委員に対し,監査を求め,必要な措置を講ずべきことを請求することができる旨規定しているところ,上記規定は,住民に対し,当該地方公共団体の執行機関又は職員による一定の具体的な財務会計上の行為又は怠る事実(以下,財務会計上の行為又は怠る事実を「当該行為等」という。)に限って,その監査と非違の防止,是正の措置とを監査委員に請求する権能を認めたものであって,それ以上に,一定の期間にわたる当該行為等を包括して,これを具体的に特定することなく,監査委員に監査を求めるなどの権能を認めたものではないと解するのが相当である。
したがって,住民監査においては,対象とする当該行為を監査委員が行うべき監査の端緒を与える程度に特定すれば足りるというものではなく,当該行為等を他の事項から区別して特定認識できる程度に個別的,具体的に摘示することを要し,また,当該行為等が複数である場合には,当該行為等の性質,目的等に照らし,これらを一体とみてその違法又は不当性を判断するのを相当とする場合を除き,各行為等を他の行為等と区別して特定認識できるように個別的,具体的に摘示することを要するが,上記摘示の特定性については監査請求書及びこれに添付された事実を証する書面の各記載,監査請求人が提出したその他の資料等を総合して,住民監査の対象が特定の当該行為であることを監査委員が認識することができる程度に摘示されているのであれば,これをもって足り,上記の程度を超えてまで当該行為等を個別的,具体的に摘示することを要するものではないというべきである。(最高裁平成2年6月5日第三小法廷判決・民集44巻4号719頁,同平成16年11月25日第一小法廷判決・民集58巻8号2297頁,同平成16年12月7日第三小法廷判決・集民215号871頁参照)」
このように述べた後,具体的事実への当てはめについて以下のように判示している。
「そして,宮城県における政務調査費は,毎年上半期,下半期ごと(上半期分については4月20日,下半期分については10月5日までに)に一括して交付されることとされており,本件政務調査費については平成15年4月の1か月分が一括して支給されたことが認められるところ,このように不可分一体のものとして支給された政務調査費のうち被告が返還請求を怠っている部分をさらに細分化して特定すべき指標は存在しないというべきである。
もっとも,前記法の趣旨に照らせば,違法事由の特定を全くなさずになされる探索的な住民監査を行うことは許されないと解すべきであるから,怠る事実の違法を主張する場合には,監査委員が当該怠る事実に係る違法事由をを他の違法事由から特定認識できる程度に個別的,具体的に主張し,これを証する書面添えて監査請求を行うことを要するものと解すべきであるが,本件監査請求において,原告は,選挙がなかった平成14年度における支出額と本件選挙があった平成15年4月における支出額を比較した上で,平成14年度の支出額の4.2パーセントを超えた部分に違法,不当な支出額が含まれていると主張して,当該怠る事実に係る違法事由を他の違法事由から区別して特定認識できるように個別的,具体的に主張し,これを証する書面を添えて本件監査請求を行っていることが認められる。
以上によれば,原告が行った本件監査請求は,対象の特定に欠けるところはないというべきである。」
3 本件監査請求では、対象の特定にかけるところはない
本件監査請求書(甲1)自体には,各会派や各議員の政務調査費について支出項目及び支出金額は記載されていない。しかし,監査請求書には各会派や各議員の収支報告書が添付されている。したがって,本件監査請求において,少なくとも平成18年度において各会派や各議員に対していくらの政務調査費が支給されたのか,そして,各会派や各議員がどのような支出項目についていくら支出したのかが認識できるようになっている。
また,監査請求書に添付された収支報告書には備考欄が設けられており,各支出項目の大まかな細目が記載されている。
さらに,奈良県政務調査費の交付に関する規定7条では,「会派の政務調査費経理責任者及び議員は,政務調査費の支出について,会計帳簿を調整しその内訳を明確にするとともに,証拠書類等を整理保管し,これらの書類を当該政務調査費の収支報告書の提出期間の末日の翌日から起算して五年を経過する日まで保存しなければならない。」となっており,平成18年度における各会派,各議員の政務調査費の支出の明細に関する資料も客観的に存在する状態にある。
以上よりすれば,本件監査請求において,監査請求人である住民らは,平成18年度における各会派や各議員への政務調査費の支給額,各会派や各議員の政務調査費の支出項目(収支報告書の備考欄には大まかな細目が記載されている),支出金額が認識できる形で監査請求したのであるから,平成16年の2つの最高裁判決がいうところの「県監査委員において,本件監査請求の対象を特定して認識することができる程度に摘示されていた」といえる。
住民らは,監査請求対象の特定について,現在の奈良県の政務調査費制度(収支報告書に領収書等の資料の添付が要求されていない)の下,可能な限りの資料を提出している。他方,監査委員は,監査請求書及び添付資料から監査対象を認識することが可能であり,かつ,監査に必要な資料を入手することが容易であるにもかかわらず(奈良県政務調査費の交付に関する規定7条),本件監査請求の大部分を却下した。
しかし、これ以上の資料の提出を住民らに求めることは,住民らに不可能を強いるものであり,住民監査制度を機能不全に陥らせ,ひいては憲法92条に保障する「地方自治の本旨」、すなわち「住民自治」をないがしろにする結果となる。